Category: ニュース

悲しみを縁として

By , 2011年9月25日 8:02 am

別れについて語り合うひととき

秋彼岸の中日、一年でご家族とお別れになられた皆さんにご案内し、追悼法要と話し合いの場「悲しみを縁として」を開催しました。参加者は少なかったのですが、おひとりおひとり、亡きご家族のことをしんみりとお話しいただき、死の縁は生活の中にも深く関わっているのだと考えさせていただきました。今年は、飛鳥家も遺族として参加させていただきました。家族との別れの思いを親族で語らうことはあっても、他者がお互いに聞き合うことは貴重な時間だと思います。

途中で中田かかしまつりのお客さんがお参りに来られたりして、秋晴れの中さわやかな一日でした。

カルチャーラジオ文学の世界『歎異抄』と現代

By , 2011年9月23日 8:22 pm

テキスト表紙

NHKラジオ第2で放送されています、「カルチャーラジオ 」で9月29日〜12月16日の約三ヶ月間、『歎異抄』と現代という講義が始まります。講師は作家の高史明(コ・サミョン)さんで、そのテキスト本の表紙に善興寺蔵の棟方志功作「御二河白道之柵」が掲載されました。NHKの方が、今回の内容に相応しい表紙を探していらっしゃる中でこの絵にたどり着かれたそうです。全国の書店で今日から発売となりました。お買い求めていただき、より多くの方にラジオを通して親鸞聖人のみ教えに触れていただきたいと思います。

「『歎異抄』は、親鸞の言葉を弟子の唯円が書き記したものといわれています。戦乱と飢きんにより荒廃した時代の中で、人間の心の闇を見つめた親鸞の深い洞察力は、今も色あせることなく人々の心を捉えています。『歎異抄』を人間の「心の葛藤」を描いた文学的にも優れた名作として捉え直し、親鸞が煩悩という心の闇とどう向き合ったのかを震災なども含めた現代的状況を踏まえながら読み解いていきます。」(NHKホームページより)

坊守 被災地へ

By , 2011年9月22日 9:19 am

南相馬市の勝縁寺さん

9月14日〜16日、坊守が教区内の坊守お二人と宮城、福島の被災地へボランティアに行ってきました。仙台空港からレンタカーを借り、名取市の明観寺さんへ。地震による大きな被害があり、現在修復工事中でした。その後、仙台別院でボランティアセンターの活動状況について視察。15日は、元教諭の坊守さんのご縁で石巻市の雄勝中学校と津波により、ほとんどの児童、教職員が亡くなられた大川小学校跡を訪れてきました。その後、南相馬市の鹿島区にある勝縁寺さんを訪問。このお寺は、天明の大飢饉により、高岡市下麻生の最円寺さんの7代前の住職の弟さんが、門徒さんたちを連れて相馬藩に入植したときに建立したお寺で、約200年の歴史があります。地震による被害と福島第一原発から30キロという距離に位置するため、門徒さんたちがバラバラになっている現実があります。相馬組には、10ヶ寺の本願寺派の寺院がありますが、そのうちの7ヶ寺が原発事故の影響で避難されています。すべての寺院が砺波地方を中心とする北陸からの真宗門徒によって支えられてきたという歴史があり、みなさん初代が北陸出身であることを聞いております。事故が収束しない中、長期的な支援が必要です。ご住職は、お米が必要だと仰っていたようです。

16日は、名取市の美田園第2仮設住宅に傾聴ボランティアに伺いました。コミュニティ広場で男性の参加がなかったようですが、女性が非常に明るく元気にお話ししておられたようです。必要とされる支援活動は多岐にわたり、被災された方々の声からできることをさせていただきたいと思います。

IABC京都会議

By , 2011年9月13日 3:16 pm

スイス・信楽寺のデュコール師の発表

9月8日〜11日、ヨーロッパ各国(ドイツ、フランス、イギリス、スイス、ポーランド、オランダ、ルーマニア、ベルギー)から、36名の念仏者が親鸞聖人750回大遠忌法要への参拝のため来日されました。二年に一度、ヨーロッパ各地を巡回し、ヨーロッパ真宗会議という行事が開催されています。今回は、その会議が大遠忌法要をご縁に特別に京都で行われました。彼らを30年にわたり支援している法人、「国際仏教文化協会」(IABC)がホストになって開催されたのですが、顧問の前住職、そして研究員の若院もスタッフとしてお手伝いしてきました。

会場は、龍谷大学のセミナーハウス「ともいき荘」で、8日、9日の両日にわたってヨーロッパの皆さんからさまざまな発表を聞かせていただきました。宗教的な求めの中からお念仏の教えに出遇われた方々とお話をしていると、本願のはたらきの不思議を感じます。先祖代々、浄土真宗だからこの教えに生きているのではなく、自らのよりどころとして選ばれたよろこびがそこにあるのです。

スイスから来られた門徒さんが仰っていました。「いろいろな教えを聞いて実践してみて、それぞれにすばらしい所があることを知ったけれど、自分がありのまま救われていくお念仏の教えがわたしにとってぴったりだとわかったのです。京都にくることが出来て本当にうれしい。」と。

来年は、ドイツ・デュッセルドルフにて開催予定です。

ハンセン病訴訟勝訴10周年記念シンポジウム

By , 2011年9月2日 11:59 pm

パネルディスカッション

富山市民プラザにて、ハンセン病問題ふるさとネットワーク富山が主催のハンセン病訴訟勝訴10周年記念シンポジウムが開催され、出席してきました。今年は、ハンセン病違憲国家賠償訴訟の熊本地裁判決(2001年5月11日)での国の違憲判決が出されてからちょうど10年を迎えました。1907年から96年間にもわたって、ハンセン病を患った皆さんを苦しめ続けた国の強制隔離政策が、憲法に違反するものであったと国の過ちを認め、国は控訴断念した日本の司法史においても異例の判決でした。

ゲストはこの訴訟の原告団のお一人、沖縄の愛楽園から金城幸子さん。そして弁護団の代表のお一人、大分の徳田靖之さんでした。それぞれが、この国家賠償訴訟の経緯や体験談などをおはなしされ、あの判決の意味や残された課題などをお聞きしました。金城さんは、これからは、ハンセン病問題に特化した理解ではなく、他の人権問題とのつながりをもつネットワークの必要性を強調しておられました。そして、若い世代に語り継いでいくことの大切さを熱っぽく沖縄弁で語られました。

徳田弁護士は、あの判決で負けていたら、自らいのちを断とうと決めておられた回復者のエピソードを紹介され、原告のみなさんにとっては、それほど重い意味をもつ裁判であったことを受け止めきれていただろうかと自問してたことを紹介しておられました。そして司法が果たして来た責任を問い続けていく必要性を課題としてあげられ、勝訴判決という事実だけでは解決できない多くの問題があることを再認識しました。お話は、これからおこるであろう空前の原発事故に関する訴訟に、このハンセン病訴訟の判決が関係してくるのではないかとのご発言もうかがえました。

「いのちを踏みにじることを繰り返してはならない」という視点に立って戦うことの意味を教えていただきました。