
スクリーンに映し出された最初のタイトル
17日(日)に講師としてお招きの松本紹圭氏が主宰する「未来の住職塾」金沢会場に参加してきました。東京、京都、広島に続き、多くの受講希望者があったため、金沢でも開かれることになりました。
福井、石川、富山、岐阜と各地から各宗派のみなさんが受講され、第1回お寺のマネジメントの基礎について学んできました。
この年になって新たなことを学ぶのは非常に新鮮で、しかもこれまでの価値観や視点を問い直す良い機会でした。
自分が今、どこに立ち、何を目指していくのか、そんな思いをひとつひとつ整理していく…そしてそれぞれの形を具現化していく…そんな作業を志を同じくする人々と共に歩んでいくのがこの塾なのかなと思います。全6回、多くのことを学びたいと思います。

手水鉢にひろがる雨の波紋
しばらく続いた晴天も今日から雨模様となり、北陸地方は梅雨入りとなりました。畑で野菜を育てているみなさんにとっては恵みの雨でしょうし、寺でもゴーヤとヘチマを育てていますが、最近急に成長のスピードが上がってきました。40日間程続く梅雨は、じめじめとしてうっとうしい期間と思いがちですが、人間以外の動植物にはいのちを輝かせるうれしい活動期となります。そんな生き物を踏んで殺してしまうのは、私たち人間。お釈迦様は弟子たちにいのちを殺さないように雨期の間、出歩くことを制限して籠って修行することをされました。サンスクリット語で雨期を意味するvarsa(ヴァルシャ)を訳した安居(あんご)という期間です。雨を眺めながら仏典に親しむ日々を過ごしたいものです。

お講のお斎 ご馳走さまでした。
今年のお講はじめ、「親鸞聖人降誕会」がお勤まりになりました。今年は往生されてちょうど750年ですが、お生まれになってから839歳となります。若院が「五濁増のしるし」と題し、お話ししました。正像末和讃に「悲歎述懐和讃」という末法の世に生きる私たちの悲しむべき現実を述べられているものがあります。そのなかの
五濁増のしるしには
この世の道俗ことごとく
外儀は仏教のすがたにて
内心外道を帰敬せり
というご和讃があり、お釈迦様が入滅されてから時代を経ると、 Continue reading '二十八日講・親鸞聖人降誕会'»
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奥座敷の天井裏 梁の下に糞が見える
昨年、夜中に庫裏の天井裏を走り回るハクビシンの被害に悩まされていたため、大工さんに侵入箇所を塞いでもらっていました。それ以来、庫裏は静かになったのですが、今年春になり、気になるシミが見えたため、法中控え間の天井を見てもらった所、天井裏にハクビシンの糞が大量に見つかりました。つまり、新たな侵入先を見つけ、冬の間出入りしていたのです。
ご存知のように木造建築のお寺は、隙間が至る所にあり、どこからでも侵入可能です。しかもハクビシンはいつもいるわけではなく、何軒もの家を掛け持ちして寝床にしているとのこと。木の実を食べて夜に行動するのです。
ついでに本堂の天井にも入っていないか、見てもらいましたが、本堂はいまのところ大丈夫でした。生まれてはじめて上がった天井裏の写真をどうぞ。

本堂の天井裏 大きな梁材が何本も重なる
みなさんのお宅は大丈夫ですか?

お話をされる土井氏
前住職と富山仏教学会に出席してきました。この仏教学会は、昭和21年(1946)に設立された富山仏教文化会を前身とし、昭和26年(1951)に富山県内の真宗僧侶有志によって発足。仏教・真宗の研究の他、歴史や社会一般に関する研究など自由な発表の機会として続いてきた会で、今回で195回目の例会となりました。総会に引き続き、会長の土井了宗氏による発表「持専寺と富山常楽寺」がありました。
本願寺が石山合戦で和睦した後、秀吉によって門主となった准如上人をさしおいて、門主職を解任された教如上人(大谷派初代)に依頼し、ご本尊等の法物を下付された寺院を取り締まるため、前田利家は黒部の生地の専念寺、正宗と入善町青木村の新蔵を処刑しました。正宗の兄弟であった越中三坊主のひとつ、持専寺の住職は、晒し首となった両氏の首をもって逃亡し、このことが因となって越中における有力寺院だった持専寺は、常楽寺に吸収され、寺号が消えてしまったのでした。その歴史をお聞きすることができました。
東西分派の歴史のなかで大きな影響を受けた富山の有力寺院のお話。持専寺には40ヶ寺以上の末寺があったそうで、その歴史もだんだん分かりにくくなっています。持専寺の山号は梅澤山、現在の富山市梅沢町の由来となったそうです。