二十八日講・親鸞聖人降誕会

By , 2012年6月1日 3:10 pm

お講のお斎 ご馳走さまでした。

今年のお講はじめ、「親鸞聖人降誕会」がお勤まりになりました。今年は往生されてちょうど750年ですが、お生まれになってから839歳となります。若院が「五濁増のしるし」と題し、お話ししました。正像末和讃に「悲歎述懐和讃」という末法の世に生きる私たちの悲しむべき現実を述べられているものがあります。そのなかの

五濁増のしるしには
この世の道俗ことごとく
外儀は仏教のすがたにて
内心外道を帰敬せり

というご和讃があり、お釈迦様が入滅されてから時代を経ると、正法(釈尊の教えが正しく理解され、実践され、覚りをひらく者がいる時代)、像法(教えや修行が形骸化し、正しい覚りがひらかれない時代)、末法(釈尊の教えが理解できず、さとる者が誰一人いない時代)という三つの時代が到来し、親鸞聖人の時代はもうすでに末法であった。釈尊の教えでは覚りがひらけない末法の世に生きる私たちの悲しむべき事実は、五濁悪世といわれる時代となり、その「しるし」(証)として出家者も在家の者もすべて、外観は仏教徒の姿をしているが、内心では仏法とは似つかない煩悩を燃えたぎらせる外道に帰依しているのである。このように親鸞聖人は、現実を見つめておられたのです。五濁とは、1、劫濁(時代のにごり)2、見濁(思想や考え方の濁り)3、煩悩濁(心身を煩わすことが増える)4、衆生濁(人間性の喪失)5、命濁(短命となっていく・生きているという実感がなくなる)

私たちの生きる今も、ますます五濁の現実が深まり、だからこそ阿弥陀如来の願いを聞きひらく努力が必要なのでしょう。南无阿弥陀仏

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