南相馬そば打ちボランティア
昨年に引き続き、今回で三回目となる福島県南相馬市へのそば打ちボランティアに行ってきました。昨年と同じく、南相馬市鹿島区にある小池長沼仮設住宅を訪れ、避難中のみなさまに富山のひきたて、打ちたて、茹でたてのそばを召し上がっていただきました。本願寺派高岡教区の第14次支援隊として11名が参加し、富山そば研究会のみなさんが中心となって仮設住宅の集会場で準備し、多くのみなさまに来ていただきました。
絶好の秋晴れにも恵まれ、暖かな陽気でしたので、ぶっかけそばにしました。お湯は外で沸かし、台所で盛りつけ、そして集会場内でゆっくりしていただきました。お話をうかがっていると、仮設住宅で亡くなられた方が数人もいらっしゃる、とか、 放射能の影響で帰ることのできない状況が続いていて、先行きが見えない不安が去年と変わらず続いている、などにこやかな笑顔のなかにどうすることもできないもどかしさを抱えていらっしゃることを教えて下さいました。
また、炊き出しのボランティアが少なくなっていること、人間関係が複雑になっていることで被災者のみなさんがいがみ合う状況が生まれていることなど、お聞きするだけで、どのように打破するのかが分らない現状でした。毎年訪れるたびに状況が好転しているのではなく、問題が複雑化していると感じました。
夜は高岡市下麻生から約200年前に相馬へ移民された勝縁寺さんにお邪魔し、小高区と原町のご門徒さんたちと交流。温かい歓待をうけながら、おそばとお酒を通して親睦を深めました。
帰り道、通行制限が解除された国道6号線を南下し、福島第一原発の見える双葉町、大熊町を通過して、常磐自動車道を経由して帰路に着きました。放射線測定器は、「帰還困難区域」と表示された双葉町に入った途端、急に数値が上がり、大熊町では、車内で7μシーベルト/時を示しました。交差点や各家の入口には、バリケードが設置され、入れなくなっていました。写真や映像で見たことのあるところがあちこちにあり、原発災害の変わらぬ大きさを改めて実感させられた旅でした。途中、富岡町の富岡駅に導かれるように立ち寄り、津波の被害がそのまま残された町に言葉を失い、駅に建てられていた慰霊碑の前でみなさんと讃仏偈を読み、眼前に広がる太平洋にむかい、お念仏申させていただきました。決して忘れることなく、また訪れたいと思います。合掌