小春団治さんと初対面
今日、北日本新聞社主催のとある会のゲストで桂小春団治さんが高岡にいらっしゃいました。ご本人から来県の情報を得ていたので、講演会終了後、住職とお会いしにうかがい、改めて10月15日の大遠忌記念イベント「真宗落語」の出演お願いをいたしました。大変気さくな方で、若々しいお姿にお兄さんという印象を受けました。
奥様が射水市出身ということもあり、富山には縁の深い方でもあります。法要委員会のイベント部で作製したチラシをお渡ししました。近日、チラシの発表もいたします。お楽しみに。
今日、北日本新聞社主催のとある会のゲストで桂小春団治さんが高岡にいらっしゃいました。ご本人から来県の情報を得ていたので、講演会終了後、住職とお会いしにうかがい、改めて10月15日の大遠忌記念イベント「真宗落語」の出演お願いをいたしました。大変気さくな方で、若々しいお姿にお兄さんという印象を受けました。
奥様が射水市出身ということもあり、富山には縁の深い方でもあります。法要委員会のイベント部で作製したチラシをお渡ししました。近日、チラシの発表もいたします。お楽しみに。
今日で永代経法要が終わりました。もともとこの法要は、一ヶ月間勤まり、普段は僧侶が命日にご門徒のお宅にお参りに行くのを、永代経の月はご本尊にお参りして本願のいわれを聞く月間だったそうです。それが時代とともに短縮され、10日間となり、7日間になり、善興寺の場合は、5日間から4日間に短縮されていったという経緯があります。
3・4日目の講師、寺西良夫さんは、私たちの惑い、迷いの姿をいろいろな角度からおもしろおかしく説いてくださり、自分で考えているよりも遥かに罪業深き存在である人間のどうしようもない無明の世界を明らかにしてくださいました。特に、死後49日間の中陰の旅路や裁判のお話は、死後の世界の陥りやすい有無の議論から自分の問題として聞いていく大切さを改めて気づかされました。
本願に出遇う環境を整えてくださっている、ご先祖さまからの尊いご縁に参拝のみなさまとお念仏させていただきました。また、役員のみなさま方、暑い中大変お疲れさまでした。
住職が初代会長を務め、若院が17代の会長を務めた高岡教区寺族青年会「鸞翔会」が、1983年にインドシナ難民救援キャンペーンとして企画・制作された映画「国境をこえた人々」の上映会とトークショーを本願寺高岡会館で開催しました。これは、「1975年のインドシナ3カ国(ベトナム・カンボジア・ラオス)の政変以降、タイのカオダイン難民キャンプに避難した人々と国境にかけつけた日本の若者(JVCのメンバー)たちのドキュメンタリー映画です。かつて日本の各地で百数十回に及び上映会が開かれたこの映画ですが、今回実に10年ぶりの上映となります。」(JVCホームページより)
善興寺ダーナ基金で長年深いおつきあいをさせていただきている国際協力NGO団体JVC(日本国際ボランティアセンター)の前代表、熊岡路矢さんと住職のトークショーもあり、当時のいきさつなどが語られました。難民の現実に出会った当時の青年僧侶たちが、映画を作り上映会を開催してその現実を伝えようとした若さを感じました。
永代経法要が始まりました。午後の座では、青年僧侶の皆さんによる「広文類作法」が勤まりました。これは、10月17日(日)の特別永代経法要でお勤まりになる作法で、親鸞聖人の書かれた主著『教行信証』の総序(はじめの御文)をいただく内容です。そのリハーサルをかねて暑い中、出勤していただきました。
講師は奥野寛暢師です。「私の歩む道」と題し、お話いただきました。相撲界の野球賭博問題から、「創業は易し 守成は難し」の中国の故事のお話と永代経の意味を話され、中国の歴史と念仏の教えの流れを絡めたお話がとても新鮮に感じました。また、阿弥陀仏の名をとなえるは、称名といい、「称」は「秤」という意味。つまり限りある「私」と限りなき救い続けている阿弥陀さまがシーソーして遊んでもらっているという喩えは、他力のはたらきを身近に感じさせていただけました。明日も奥野師です。お参り下さい。
この善興寺のブログもいつもいつも会議のニュースばかりの様な気がしてきました。でも、それほど多くの会合が開かれ、大遠忌法要に向かっているのです。今日は、法要を裏方で司ってくださる会行事所(えぎょうじしょ)の僧侶のみなさんがお集まり下さり、夜10時近くまで細かいところをつめてくださいました。特に差定(さじょう)といわれる法要の次第は一言一句、間違いの内容に表記しなければならない為、多くの意見が入ります。その話し合いの中にちょっとしたドラマが生まれるのです。お疲れさまでした。