全戦没者を悼み平和を願うつどい2010

By , 2010年8月4日 8:07 am

毎年この時期に本願寺派高岡教区主催で、「全戦没者を悼み平和を願うつどい」という行事が開催されます。これは敵味方関係なくすべての戦没者を悼み、平和について考える法要で、今回で17回目を迎えました。今年の講師は、信楽峻麿先生(龍谷大学元学長・元仏教伝道協会理事長)でした。

「国家と教団を超えてこそ」と題し、親鸞聖人の立場を明確にお話し下さいました。まず、親鸞思想とは、国家や教団といった体制を超えるものであること。権力を超越するところに聖人の教えの基本があることをおっしゃいました。ところが私たち念仏者の生き様は体制のなかに取り込まれ、信心を世俗的な価値観と分けて受け止める二元論的な理解がほとんどであることを批判。その源流を三代門主の覚如上人やその子息、存覚上人、蓮如上人などの本願寺を形成し発展させてきた歴代の門主の思想にあるとし、世俗の価値観と信心を分けて生きた「真俗二諦」の非真宗な教学理解を紹介されました。

その理解のなかで戦時中、教学が戦争を肯定し賛美していくものに急激に歪み、教団が率先して多くの門徒・僧侶を戦地へ赴かせたのです。戦後、戦時中の教学を説いていた学者たちは誰も責任をとりませんでした。むしろ信楽先生が研究者としてその事実を発表したとき、幾度も教団から弾圧されました。戦時教学を問うことを許さない体質がいまでも続いているのです。

先生は少なくとも次の3点について教団は問題を解決しなければならない、とおっしゃいます。

1、教行信証の「主上臣下背法違義…」の箇所削除の問題

2、戦時中の門主の消息(手紙)の問題

3、聖徳太子絵像の問題

本願寺教団が抱える本質的な問題を改めて思い起こさせていただきました。先生も85才となられ、本願寺の行く末を危惧しておられました。どの勧学さんよりもご高齢なので、「最近では誰も私を批判しない」と物足りなさを感じておられるご様子でした。

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