続・災害ボランティア

By , 2011年5月2日 1:49 pm

各地からのボランティアとの語らい

気仙沼市から南三陸町へ向かう海岸線の国道45号線は、行けども行けども津波の被害が続くところでした。崩落した橋や破壊された堤防、道路の端が崩れている箇所も多く、夜は走れないと思いました。テレビの映像などで見たことのある建物や景色が目の前に広がっています。その上、言葉では表現できない空気や匂いがそこにはありました。そのまえではいかに人間が小さいものか実感させられます。と同時に多くの重機や支援車両が活躍している姿に復興への息づかいも感じました。自宅跡周辺で何かを探しておられる人が見えるだけで人の生活は見えません。これまで目にしたことのない現実にどう受け止めていいのか分からないというのが正直なところでした。

三陸自動車道経由で仙台別院に戻ってきましたが、長時間の渋滞に巻き込まれ、センターでは、すでに各チームの報告がなされていました。4月28日はちょうど震災から49日目。各寺院では四十九日の法要が勤められました。お葬儀ができなかったご遺族にとっては今回が初の儀礼となり、多くの方の悲しみの深さをお聞きしました。帰り道では、喪服を着た方を何人も見かけ、各家庭でも法要が勤まっていました。

ボランティアセンターには、全国各地から集っていましたが、私の友人、知人がなぜか多くおられ、久しぶりの再会をこのご縁で結ばせていただきました。とくに北海道の青年僧侶のみなさんは、震災後どの地域よりも早く現地入りし、ボランティア活動を開始されました。そのときのお話等をお聞きすることができました。自主的に動く中から形成される関係のすばらしさを味わった夜でした。つづく

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