竹中住職のお話
今年の「仕舞お講」が勤まりました。5、6、7、8月、そして11月の報恩講をもって一年の行事がほぼ終わります。ご講師は婦中町笹倉の妙順寺住職、竹中了哲師でした。竹中さんは、若坊守の実家のお手継ぎのお寺さんで、多くの若者たちに仏法を伝えてこられた方です。
今回は、「本願のいはれ」と題して、お話を伺いました。蓮如上人の『御文章』に「いはれ」という言葉が何度もでてくることから、真宗の信心というのは、阿弥陀如来のはたらきの因縁や背景をきくことをもっとも大切にしていることを紹介されました。そして本願に照らされ明らかになる人間の不確かさ、愚かさをいろいろなお言葉を引用され、この世でのほとんどのことは、朝露のような儚く夢のようなことであることを伝えて下さいました。
インドの詩人、タゴール(1861〜1946)の言葉
君がなにものであるかは君には見えず、君が見ているのは君の影だ。
お釈迦様のことば『真理のことば』より
白髪なるが故に長老なのではない。ただ年のみ老いたものは愚老と呼ばれる。
杉岡誠氏
昨夜、放射能汚染によって全村避難を余儀なくされている福島県飯舘村より、善仁寺住職で飯舘村村役場職員の杉岡誠さんを講師にお招きし、西本願寺高岡会館の報恩講のお初夜「親鸞聖人を語る夕べ」が開催されました。750回大遠忌法要の年ということで、宗祖讃仰作法の音楽法要でのお勤めがあり、その後、杉岡住職のお話を聞きました。
まず、先日、高岡教区から支援米を届けてもらったことへの謝辞と、飯舘村のご門徒さんたちが、大変喜ばれたことを寄せ書きからご紹介されました。お米を提供して下さった方々もお参りで、直接お礼のお言葉をいただけたことが有難かったです。そして3月11日に何がおこったのか、その後、原発事故の村への影響などを体験から分かりやすくお話しくださいました。東京工業大学大学院で核物理を専攻されていた科学としての視点から、冷静に事故の被害状況を測定し、村民の不安と向き合われたのでした。県も国も村に情報を伝えなかったことで多くの村民が大量の被爆をしてしまったことへの悔いを吐露されました。全村避難完了までに5ヶ月もかかった対応の遅さから、日本がいかに原子力災害に対して無知で、無防備だったかが明らかになり、これから一人一人が物理を学び、核に対する知識をもってこの問題と向き合っていかなければならないとおっしゃいました。原発の是非については、 Continue reading '親鸞聖人を語る夕べ&相馬移民200年記念シンポ'»
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お日さまに照らされる銀杏の葉
記念撮影
本堂前の合掌が皆さんの手で組まれました。秋晴れに恵まれ、縄も縛りやすかったようです。これから到来する冬に備え、春まで本堂前を守ってくれます。お疲れさまでした。
常福寺を借り勤修された報恩講に参拝された飯舘村のご門徒さんたち
19日の朝、支援米を載せた2トン車を運転して下さったご門徒のお二人はご都合により、先に富山へ帰られました。残った私たちは、相馬組の組長、松山住職に会いに、一路相馬市へ。東西で津波の被害の分かれた国道6号線を北上し、福島第一原発から40km以上離れたところに光善寺さんはありました。松山住職のお話によると、避難中の寺院が7ヶ寺ある中、今は連絡を取り合っているが、これから組としての活動が維持できるのかが不安だとおっしゃっていました。5kg袋のお米をお渡しし、本堂に参拝。外陣の虹粱の彫刻の見事な様式に思わず見とれてしまいました。このお寺のご門徒さんも津波で亡くなられています。多くのお骨が本堂に安置されていました。
18日にブータン国王夫妻が訪問された相馬市立桜丘小学校は、光善寺さんのすぐご近所で、一日違いでお会いすることはできませんでしたが、その小学校前を通って津波被害のあった海岸線へ向いました。相馬の津波被害地域は、 Continue reading '相馬組へ…その2'»
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二本松インター周辺の放射線量(0.3μsv/h)
11月18日、19日と1泊2日で相馬の地へ富山米を届けに行ってきました。片道約500キロの旅でした。高岡教区内の有志、ご門徒4名と、若院4名で2トントラックに支援米2トンを積載し、ワゴン車2台で移動しました。5月から地元を測定していたガイガーカウンター(放射線測定器)を携帯し、北陸、磐越、東北自動車道経由で川俣村、飯舘村を通って目的地の南相馬市へ。磐越道から東北自動車道に入った途端、放射線量が上がり始め、休憩で立ち寄ったSAでは、草木のあるところで1マイクロシーベルト毎時をすぐに超えました。その数値を見てはじめて実感として、原発事故の汚染を感じました。それから国道や県道を通って南相馬へ到着するまで車内で0.2〜1.5マイクロの間を変動していました。特に、 Continue reading '相馬組へ…その1'»
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