南相馬へそば打ち
善興寺のそば打ち名人、総代さんと会計さんといっしょに福島県南相馬市鹿島の勝縁寺さんへ利賀の新蕎麦を携え、そば打ちにいってきました。
昨年からの東北でのいろいろな活動の中から、富山から持っていって、向こうの皆さんに歓迎されることは何か。ということを考えた結果、そば打ちに行こう!ということになりました。
勝縁寺さんは初代が下麻生の最圓寺さんが出身ということで、ご住職ともこれまで何度かお会いして快く申し出を受け入れてくださり、報恩講直前にも関わらず、ご門徒さんにもお声掛けをして下さいました。
19日午後に善興寺を出発し、夜に勝縁寺到着。道中は快晴で、渋滞もなく快適なドライブでした。ガイガーカウンターを持参していきましたが、いつものように磐越自動車道から東北自動車道に入ったところから値が上がります。飯舘村を通過するときに最も高い値を指し、居住できない現実を改めて感じました。そして南相馬市に入ると、中田と変わらない放射線量になり、原発事故の汚染状況のムラを知ることができます。
その夜はご住職のご好意で勝縁寺さんに泊めていただきました。夜遅くまでお酒をいただきながら、現地のいろいろなお話を伺うことができました。特に印象的だったのは、原発の作業員の現実のお話でした。将来が本当に不安になりました。
翌朝、そば打ちがはじまってから、婦人会のみなさんが台所のお手伝いに来ていただきました。そば打ちの手さばきに感動しながら、総代さんの提案でそばを伸し棒で猫手でのばしたり、そば切包丁で切ってみて体験し楽しんでおられました。最初は寒いだろうから温かいそばを食べてもらおうと思っていましたが、そばの本当のおいしさを味わいたいということで冷そばにぶっかけつゆで出すことに変更しました。
持参したねぎ、赤巻かまぼこ、蕪のいろとり、赤かぶの酢漬けをだしておそばといっしょに味わっていただきました。門徒会館の2階には仮設住宅や借り上げ住宅からお越しになった門徒さん50人程が食べにきて下さり、「おいしい、おいしい」と仰っていました。
多くは語って下さいませんでしたが、家や家族を亡くされたみなさんがお寺に集い、悲しみや悩みを共有していく。そんな場所として勝縁寺さんは今、ご門徒の支えになっているのだと思いました。…つづく。
こんばんは。
昨年六月に高岡の「アンリッシュ」でご一緒させて頂いた光善寺です。
私ども相馬組の為に様々ご支援ご尽力を頂きまして申し訳なく、ただただ有難いばかりです。
高岡・富山はおソバの産地でしょうか?
実はそばという事で思い出した事があります。私どもの仲間門信徒の祖先にまつわる天保ソバという歴史があります。
その方の先祖出自がどこか今、分かりませんが、もしかすると相馬移民が飢饉に耐えうるべく富山柿を持ち込んだ歴史になぞらえて、そばも柿同様、出自元から持ち運んだのではないかと考えたりいたします。
というのは現在、相馬地方で麺物と言えば、そばよりうどんだからです。当時もうどんが主流だったかは分かりませんが、相馬双葉地方で昔からソバ作りが盛んだったとは聞かないからです。
天保そばについては
http://jp.xinyongtuan.com/2012/03/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E5%8E%9F%E7%99%BA%E5%91%A8%E8%BE%BA%E8%87%AA%E6%B2%BB%E4%BD%93%E3%81%AE%E5%AF%BE%E5%BF%9C-%E5%A4%A9%E4%BF%9D%E3%81%9D%E3%81%B0%E3%81%A7%E9%81%BF%E9%9B%A3%E8%80%85%E3%81%AB%E5%85%83/
http://tigridophilia.tumblr.com/post/2519394311
http://www.asahi.com/food/news/TKY201012150283.html
http://www.nichimen.or.jp/koshi/05.html
http://www.soba-udongyoukai.com/info/2012/2012_0226_tenpou_soba.html
直接、高岡の皆様とは無関係かも知れません。
ただの思込みか誤解かも知れませんが、もしかすると移民先祖の深い想いと出自元とのつながりが・・と思ったりもします。