東日本大震災三回忌法要
あの日から丸二年の月日が流れ、津波で亡くなられたみなさんと被災された方を追悼する三回忌法要の日となりました。高岡教区では、これまで様々な支援活動がなされ、これからどのような方向性を見出すのか、ということも含め、法要の後、パネルディスカッションが開かれました。
教区内の様々なみなさんの活動報告をお聞きして、これからはお互いの情報共有と、その情報に基づく長期的な視野をもって効率的な支援方法が必要になってくると思いました。なぜなら支援する私たちがこれから心も体も落ち着いて動けるようになったからです。

パネルディスカッションの様子

参拝のみなさん
この法要を機縁に新たな一歩が踏み出せるそんな力強いこころを育てていただいた一日でした。
ビデオメッセージをいただいた相馬組のみなさん、ありがとうございました。
法要の模様がKNBのニュースになりました。こちら
チューリップテレビでも報道されました。こちら
こんばんは、善興寺さま。
東日本大震災三回忌法要勤修誠に有難う御座います。またお疲れ様でございます。
被災地なれば大震災三回忌法要は自発的にそうなりますし当然せねばなりませんし、やりましょうと要望も当然起きます。
その意義も亡き人の安心と幸福を祈る(真宗以外では)、亡き人を偲ぶ、悲しみを忘れず共有する、残された者がつながりあい支えあい
故郷復興でまとまる、苦難を生きる力を頂く等々の意味合いを持っていると感じました。
しかし、被災地から遠く離れた地で追悼法要を営むのは
どういう意味になるだろうなと私なりに考えた時
「その地その方々を思い、その悲しみに寄り添う」ということ以上に「悲しみを教わり”我が事”で考え、備える」意味を持ってくる
のではないかなあと考えます。
「寄り添う」とは「学び、聞く」=「無常の現実を学び、その上で確かなお救いとその喜びがあることを聞く」のだと感じます。
・・・と何か上手く言えなくて、私の感じる思いを的確に言葉に出来ないのがもどかしさを感じます。
唯今、築地に春彼岸法要で来ているのですが築地さんの彼岸法要の各作法声明と雅楽の美しさには感動いたします。
相当な練習と声・音合わせを重ねているのだろうなと感じます。ただ残念なのは慣れた正信偈和讃ではなく、参詣者の耳慣れない
作法とその経文もあるのでそれがどれだけ参詣者に伝わっているか・・伝わっていないだろうなと感じました。
昨年、高岡のバーアンリッシュさんでマスター?が「経や法要の意義意味合いを始める前に先に話し教えてくれたら、何もないままで経声を聞くより心持ちが違うのに・・」
というような趣旨の事を話していた事を思い出しました。
経を読む声の美しさと経の”お心”の両方が響き伝われば、さぞ感動感激し心に残る法要になるのだろうと自分勝手に思うひと時でした。
最後に南相馬市の常福寺さまと善興寺さまとは親戚関係にあるような事をお耳にしました。やはりこちら相馬とは浅からぬご縁があるのですね。
リンクのニュース動画拝見しました。
心は「伝え、伝わり、広がり、つながり、語り継がれていく」と思います。
福島の思いは忘れられないけれど、新しい家族と共に富山で人生を再始動される方もおられますね。
法要にご参加下さった皆さま、ご支援下された皆さまが被災地を東北を福島相馬の人々を深く身近に思って下さること、ただただ勿体なく有り難くうれしいばかりです。まだまだ富山の皆様にはご心配ご苦労をお掛けしますが、福島相馬に希望の光が広がる為にもお力添え頂けますようよろしくお願いいたします。
また織田先生がお元気にご活躍のご様子、うれしい限りです。
メッセージありがとうございました。
富山で生活をしておりましても、福島のことを考えています。
しかし、常に身動きのとれない現実の中、どのような支援が長期的にできるのか、自問自答の繰り返しです。
そんななかで三回忌法要が営まれたことで、高岡の多くの方々が同じように高い関心をもっていらっしゃることが分かりました。
いつでもお気軽にご相談やご要望、提案等お知らせくだされば有難いとおもいます。
できる限りのご協力をさせていただきたいと思っています。
合掌