再び福島・宮城へ

By , 2012年8月2日 9:43 pm

松川第2仮設住宅内の集会所

松川第2仮設住宅の管理人さんのお話

高岡教区の災害救援活動専門委員会(若院は副委員長)で企画した、「東日本大震災高岡教区役職者現地研修」に参加し、再び福島と宮城を訪れました。初日は福島県飯舘村の皆さんが避難しておられ、高岡教区から何度も支援に訪れている松川第2仮設住宅を訪問し、管理人の方から村の現状や仮設住宅での生活についてお話を伺いました。村には戻りたいが戻れない現実と仮設住宅に帰らなければという居場所がどっち付かずの状況の中での複雑な心境を吐露されました。農業と酪農、その他などの複合型の農業を行っていた生活から、何もしない生活への急激な変化の中で引きこもったり、体に不調を訴えたりと、村民の心身に大きな影響が出てきていることをお聞きしました。原発災害の苦しみは、ふるさととアイデンティティが奪われていくという、いのちを支えている最も大切な部分を侵してしまう「いのち」を損なう問題だと痛感しました。

福島県復興支援宗務事務所内のお内仏さま

左から湯澤組長、広畑住職、鴫原自治会長、杉岡住職

次に本願寺派が今年の2月に開設した福島県復興支援宗務事務所を訪れ、相馬組組長の湯澤義秀さん(初代が高岡市下麻生最円寺出身)、飯舘村善仁寺住職の杉岡誠さん、浪江町常福寺の広畑住職、そして飯舘村長泥地区区長の鴫原さんのお話を伺いました。飯舘村は7月17日、放射線量によって3地区に再編成され、長泥地区は最も線量の高い地区として帰宅困難地区となりました。これまで住めないが自由に入れた同じ村が地域によって区別されることによって、村民のなかに感情的な問題や差別意識が生まれていることを知りました。あってはならないことが次々と起きているのです。浪江町はまだ避難区域の再編成がされていませんが、今後同じような問題が起きるかもしれないのです。東電や政府に向けられていた怒りや批判が、避難者同士がいがみ合う現実に代わりつつある…。問題の本質がどんどん不明確になって、複雑な苦悩の現実を生んでいるというお話を聞いて、どう受け止めていいのか言葉がありませんでした。

とにかく何もできないかもしれないが、会ってお話を聞く。そのことが私たちにできることです。継続的な交流の中から8月9日〜12日、飯舘村の子供たちとそのご家族が高岡教区の招きでホームステイにやってこられます。スタッフも楽しみに待っています。

荒浜地区の慰霊碑

翌日は宮城県の仙台市にある仙台別院、その境内にある東北教区ボランティアセンターへ訪れました。教務所長より宗派の取り組みやボランティアセンターの活動状況などについてお話を伺いました。他宗派や他団体がボランティアセンターを閉鎖している中、今後3年間は継続的に活動を続ける予定であること、宗派関係者だけに留まらず、一般の方や外国人、障害者の方々、いろんな方々に利用されており、被災地での信頼も高いことを聞きました。内向きな活動が多い中、宗派の今後の活動モデルとなる取り組みだと思います。

最後に仙台市の若林区荒浜の慰霊碑に参拝し、参加者一同勤行を行い、周辺の広大な津波被害の実態を視察してきました。何度伺っても津波の被害の大きさに、我が身のちっぽけさを感じずにはおれません。塩害被害の田園を土壌改良している様子が至る所で見られました。一方で新しい住宅も建設されており、復興の様子が少しずつ目に見える形で進んでいました。

やはり今回の旅で、原発災害は全く収束しておらず、むしろ本当のことには目をふさぎ、なかったことにしているかのように感じました。しかし、避難している方々の心身には明らかな変化やあきらめが広がっており、益々混迷を深めているのです。津波被害と原発災害との違いが明らかに出始めているのです。これらの現実から今後、何をすべきか。それかこの研修から問われたことでした。

 

2 コメント “再び福島・宮城へ”

  1. 中田 博 より:

    毎日が、暑い日の連続で根気も力も奪われそうな今日この頃ですが、被災された方々を思えば贅沢な悩みかもしれません、かつて、恩師黒田信一先生が私のもって行った絵画作品をみてこうおっしゃいました「人間とは贅沢なものであれもほしいこれもほしいと思うもの」これは絵の評価だったのですが(ものを描きすぎるの意)しかしながら今の日本の国においても同じかと思います。政治家は飴玉ばかりを公約にして選挙に挑み人々は表面的なことばかりにこだわり大きなことを見過ごしているのではないだろうか?と私はこの国の未来に不安しか見えてこないのですが。いかがお考えでしょうか?

  2. administrator より:

    コメントありがとうございます。不安だからこそ、自分にできる小さな何かをしたいと思うのではないでしょうか。被災者と比較してして、「何かしてあげている」のではなく、共に時間を過ごす中で気づかなかった自分自身が見えてくる。問われてくる。そんな体験が支援活動の根底にあるように思います。お念仏って自分で称えていながら、阿弥陀さまに私が呼びかけられている声だということとも相通じると思っています。その声は不安の中にこそ大きくはっきり聞こえるのです。

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