7月の二十八日講&可問発送
暑中見舞い申し上げます。梅雨が明けて何日間猛暑が続きましたでしょうか。みなさまいかがお過ごしですか。汗が止まらないなか、夕暮れに久しぶりの雨に恵まれ、少し気分が和らぎました。でもこれも一部の地域だけだったようです。
さて、今日は二十八日講がお勤まりになりました。暑い中ようこそのご聴聞でした。今日は、6月に来ていただいた馬場昭道さんのお話の中に出ました、「一子地は仏性なり」ということについてお話しさせていただきました。阿弥陀さまのお心を平等心といいますが、そのお心をいただく境地を「一子地」といいます。阿弥陀様がこの私のことを大切な一人っ子として無始の過去から永劫の未来にわたり絶対に捨てないと願ってくださっているというお心がわかることを信心というのでしょう。そのことを親鸞聖人は左訓に「三界の衆生をわがひとり子とおもふことを得るを一子地といふなり」と記して下さっています。
「三界の衆生」とは、迷いの宇宙全体に生きるすべての存在を表す言葉ですが、そのすべてを仏にせずにはおられないと願っていらっしゃる。それは私たちの想像を遥かに超えたお心といえるでしょう。親鸞聖人はそのお心の受け止めを「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。」といわれたと歎異抄に見えます。仏法は他の誰でもなく、この私自身が救われていくという主体性の中にこそ本願を受け止めさせていただける世界があるのです。役員のみなさまのご尽力により、可問117号も発送されました。