法統継承式と耳塚参拝

By , 2014年6月16日 10:08 pm

s-IMG_0792本願寺第24世即如上人から25世専如上人へと法統が受け継がれました。6月5日の退任にあたっての「御消息発布式」は、とてもシンプルでしたが、これまでの仏法と社会そして宗門を見続けてこられた眼差しがひとことひとことに込められており、雨水のようにしみ込んできました。本当に長い間お疲れさまでした。

6日の法統継承式は、清々しいお顔の前門主さまと、これからの重責を背負われた新門主さまのお姿が対照的な式でした。より多くの人々にお念仏のお心が伝わるようにわたしたちもともに歩ませていただきましょう。

今回のご縁で、久しぶりに学生時代に住み慣れた東山七条に向かい、豊臣秀吉が神として祀られている豊国神社のまえにある「耳塚」に参拝してきました。ここは、秀吉が朝鮮出兵をした際に殺した朝鮮、明国の人々の耳や鼻をそぎ持ち帰って埋めたお墓です。現在の日本の中国や韓国、北朝鮮の人々との関係を考える大切な歴史をこの耳塚は私たちに教えていると思います。そして豊国神社と西本願寺は、相向かって建てられていることはあまり知られていません。秀吉によって与えられた寺領であること、そして家康は豊国神社と西本願寺の関係を断つようにして東本願寺を建てたこと。権力者の発想は、仏法とは違う次元で大きく影響を与えているのです。

s-IMG_0786

社会のなかで仏法を伝える難しさと、大きな組織の中に埋没してしまい、本願の原点を忘れてしまいやすい私たちであるということを本願寺そのものが私たちに示しているように思います。

コメントをどうぞ