猛暑の日々も少し落ち着き、気づけば9月を迎えようとしております。8月の二十八日講がお勤まりになり、浄土和讃の「一々のはなのなかよりは 三十六百千億の 光明てらしてほがらかに いたらぬところはさらになし」と「一々のはなのなかよりは 三十六百千億の 仏身もひかりもひとしくて 相好金山のごとくなり」の二首を味わいました。
絵の具の三原色は青、赤、黄で、色を重ねていけばいくほど黒に近づきます。一方、光の三原色は、RGBであらわされるように、青、赤、緑です。これらの光は重ねれば重ねるほど明るくなり白に近づきます。お浄土には、種々の宝でできた蓮の花がいたるところに咲いており、それぞれの花に百千億ものはなびらがあるという。そしてその花は無数の光をはなち、「青色に青光、白色に白色あり、玄、黄、朱、紫の光色もまたしかなり。」と、青、白、黒、黄、赤、紫の色に光り輝き、お互いを照らし合っているから六色×六色の三十六の百千億の輝きが放たれている、と無量寿経に説かれています。
無数の花びらから無限の光が放たれ、ありとあらゆるところに届いている。そして仏さまの体もひかりもいっしょになって輝き、その姿は金の山のようだと讃嘆されているのです。
その光は「美しい」とか「きれい」と眺める為にあるのではなく、その光のはたらきで私たちをさとりへの道を歩ませると結ばれています。私たちには煩悩の眼によって見えないけれど、その光はお浄土から私を照らし、そして浄土に生まれさせようと確かにはたらいて下さっていることを親鸞聖人は讃えられているのです。