南相馬そば打ちボランティア

By , 2013年11月13日 9:14 pm
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そば打ち体験コーナー

昨年十一月、福島県南相馬市の勝縁寺さん(初代が高岡市下麻生の最圓寺さん出身)で利賀のそばを持参してそば打ちにうかがいました。その後、仮設住宅での高岡教区の年末餅つき炊き出しボランティアが好評だったという話から、来年は是非、仮設住宅のみなさんにどうかとの声が上がって、このたび十月三十一日に、南相馬市の小池長沼応急仮設住宅(一二八世帯)でそのご縁が結ばれたのです。

今回は高岡教区第十二次支援隊として富山そば研究会のメンバーである門信徒会会計担当の石崎久雄さんのお声かけで、有段者の内さん、小栗さん、そして若かりし頃大手そば屋に勤務されていた杉原さんが茹で担当者となり、教区内の僧侶、門信徒総勢十一人で一路南相馬へ向かいました。

道中、東北自動車道を下りて飯舘村を通ったとき、持参したガイガーカウンターの数値が事故当初よりは低くなったとはいえ依然高く、原発事故の現実に引き戻されました。高岡から南相馬までは約七、八時間ですが、向かうたびに近く感じます。

今回は勝縁寺のご門徒桑折さんが営まれている美晴湯旅館さんに泊めていただきました。到着後、さっそく会場の仮設住宅の集会場に向い、それまで電話でいろいろな下準備をして下さった自治会長の高野さんと初対面。笑顔で迎えてくださいました。そば打ち名人の皆さんはそば打ち台のセッティング。打ち台が三台並ぶちょうど良い空間がそこにありました。

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小池長沼仮設住宅の集会場にて

翌朝は朝八時三十分からそば打ちスタートです。「そば打ち」や「富山そば研究会」の幟や旗が立てられると集会場はいっきにそば屋さんに変身。午前十一時からはじめる予定でしたが、その前からご来場され、同行した蔭島会長は、そば打ち体験コーナーを準備してそばの作り方を皆さんに説明し、ご自身の手打ちのそばを作っていただきました。

お年寄りの方が大勢いらっしゃいました。平日のため若い皆さんは仕事で留守でしたが、昼休みにわざわざ食べにきてくださった方も。午前中で学校が終わった小学生も来てくれて、みなさんが温かい笑顔で集会場から出てこられる姿が印象的でした。

みなさんとの会話では、津波でご家族、お家が流されたお話や、仮設住宅での苦労話、放射能の影響で先行きの見えない避難生活の現実、さまざまな状況が今でも続いており、言葉にできない苦悩を抱えながらも笑顔で元気に前向きに生きていこうとしていらっしゃいます。

夕食に若い人たちに食べてもらいたいとお持ち帰りした方も多く、仮設住宅では全部で二百十六食が振る舞われました。名人たちも真剣に打たれてお疲れの様子でしたが、ともに笑顔でボランティアの歓びを分かち合いました。お礼を申し上げ、みなさんとお別れをしました。

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勝縁寺さんの会館で交流会

夜の部は勝縁寺さんの門徒会館で行われました。勝縁寺のご門徒と原町の常福寺さんのご住職、ご門徒も参加され、五十人以上の盛大な交流会となりました。そばはすでに仮設住宅で準備してありましたので、台所をお借りして茹で担当の杉原さんの土壇場です。持参の大鍋でたっぷりのお湯を沸かし、次々とそばを入れ、茹で上がったら名人たちが冷水で冷やします。赤巻と大根おろしとネギを添え、汁をかけて門徒さんたちのもとへ。去年来て下さった方も、聞きつけてご来場のみなさんも口々に「おいしい、おいしい」と言って下さって、お酒もおつまみもまじって大宴会となりました。

 

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色々な話題で盛り上がる

最後に支援隊の一人一人が挨拶し、出会えた歓びと、来年もまた来てねという皆さんからの熱いラブコールをいただきました。今度は「昆布のかまぼこ」をもってきてというリクエストもあり、支援活動から交流の輪になってきていると感じました。

最終日、津波被害を受けた海岸線を走り、先月台風二十六号の通過後、漏電で全焼した小高区の光慶寺さんを視察。原発事故の二次被害の現実を目の当たりにしました。その後、国道6号線を南下して、福島第一原発から約5㌔地点の浪江町と双葉町の境界辺りまで行く事ができました。

驚いた事はその地点までは、空間線量が南相馬市と同じくらい(0.15〜0.2μsv)で高くならないということでした。帰りに寄った飯舘村の善仁寺さんの本堂前では2μsvなので原発に近いからと言って必ずしも高くないという汚染マップの意味を体験的に感じました。

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勝縁寺本堂前にて

世間の関心が薄れてくるこれからの支援活動が重要です。現地のことを伝え、支援の輪を拡げ、交流を深めることから自らを見つめさせていただきたいと思います。

可問129号より転載

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