二十八日講降誕会
今年最初のお講が勤まりました。親鸞聖人の降誕をお祝いする「降誕会」です。正信念仏偈和讃のお勤めの後、ご消息を拝読し、法話。「人身受け難し、今すでに受く」というテーマでお話しさせていただきました。
このお言葉は、「礼讃文(三帰依文)」というご文の冒頭に出てくるもので、仏教徒としての表白といえます。
人身受け難し、今すでに受く。仏法聞きがたし、今すでに聞く。この身今生にむかって度せずんば、さらにいずれの生にむかってかこの身を度せん。大衆もろともに至心に三宝に帰依したてまつるべし。
みずから仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道を体解して無上意をおこさん。
みずから法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、ふかく経蔵に入りて智慧海のごとくならん。
みずから僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して一切無碍ならん。
無上甚深微妙の法は、百千万劫にもあい遇うことかたし。われ今見聞し受持することをえたり。願わくは如来の真実義を解したてまつらん。
得難い人間としてのいのちをいただき、聞き難い仏さまの教えを聞かせていただいている境涯の自覚と、いまのこの一生の間に苦悩多き迷いの世を離れて、みんなといっしょにさとりへと向かうことを目的としていることが表されています。
仏教徒として1、仏に帰依 2、法(教え)に帰依 3、僧(1、2に帰依した集団)に帰依することを三つの宝とするのです。帰敬式でおかみそりを頭に三回あてていただくのは、この三帰依に由来しています。三法に帰依し、仏さまのお心を解りたいというのが仏教徒であるということなのです。