水の恵み
最近、水の恵みに関するお話に出遇います。例えば、工作用から住宅建材用までに使われる糊。この糊を作るのには、きれいな水が必要なのだそうです。また、食用のソースもきれいな水の採れるところでないと作れないし、飲料水や栄養ドリンクなども同様です。善興寺のある高岡市中田は、旧東礪波郡でしたが、高岡市に合併してからは、中田の水を高岡の町へ供給している土地でもあります。周辺には水に関する企業が多くあります。私たち地元に住むものの多くは現在も地下水をくみ上げて生活をさせてもらっています。
暑さが長続きすればする程、水の有難さが身にしみます。しかし、あと30年もするときれいな水を確保すること自体が難しくなってくると水の専門家から伺ったことがあります。私たちは、天界に住んでいるようなまやかしの現実を取り繕っているだけで、もはや恵みに感謝する人間の生活を送っていないのではないでしょうか。往生要集に出てくる天人の「五衰の相」が思い出されます。欲望が極限にまで満たされる天界は、その長い寿命が終わるとき、1、頭の上の華鬘がたちまちに萎み、2、美しい天衣が塵垢に汚れ、3、脇の下から汗が流れ、4、両目がくらみ、5、「本居を楽はず」があります。これは、天界という欲望の満たされた状態をよろこべないことを意味し、現在の境遇によろこびを見いだせない、恵まれていることに満足できない、楽しめないということを表しています。