Posts tagged: 蓮如

御正当参拝ツアーその2

By , 2012年1月21日 5:39 pm

阿弥陀堂での晨朝勤行(阿弥陀経)

14日(土)は、前の席を確保するため、何人かの方が、早朝、開門(午前5時)前にならんで下さり、中央最前列の席に座ることができました。深謝。おあさじ(晨朝)からたくさんの方がお参りになっており、阿弥陀堂から御影堂に移動するだけでも大混雑。底冷えする寒さの中、晨朝礼讃偈を味わいました。その後、10時からの日中法要まで、交代して朝食をいただき、始まるのを待ちました。全国各地から出勤の数百名の僧侶方と数千人の参拝者とともに宗祖讃仰作法(音楽法要)をお唱えして親鸞聖人のご和讃をいただきました。雅楽とシンセサイザーが見事に調和していて、唱えやすいお勤めでした。

法要後、飛雲閣と書院、唐門を案内しようと思いましたが、書院はお斎の接待のため、午後にならないと入れないとのことで断念。その後、普段は公開されていない「経蔵」を拝見。内部の構造は転輪蔵の回転式書架になっていて、非常に細かな細工が施されてありびっくりしました。それから門前町へ移動し、それぞれお土産物などを購入し、昼食会場へ。ゆっくりと料理をいただいたあと、最後に本願寺の南に位置する真宗興正派の本山、興正寺さんへ参拝。本願寺と興正寺は本願寺第8代蓮如上人の時代から一緒に歩んできた深い関係でしたが、明治時代に独立し、現在に至る歴史を少しお話しさせていただきました。なぜ本願寺と興正寺は並んで建っているのかということから、きちんと両寺の歴史を掘り起こす必要があると思います。そして龍谷大学大宮学舎を見学し、帰途につきました。

御影堂のお荘厳

今回の参拝を通して、50年に一度の法縁だから特別に考えるのではなく、常に願われている我が身であることを日々の生活の中で感じていくことこそが大切だと深く感じました。それがお念仏の教えですし、親鸞聖人が示された道です。そして真宗の教えは本願寺だけのものではなく、あらゆる人々に分け隔てなくつながる真理であるから、表面的なものにとらわれることから離れていく努力をしなければならないとも思いました。

数百人の奏楽員(雅楽を奏でる僧侶)

導師 大谷光淳新門さま

 

経蔵 第14代寂如宗主(1651-1725)が建立

 

興正寺から本願寺を望む

 

「親鸞聖人の教え—北陸への道」シンポジウム

By , 2011年2月7日 1:40 pm

昨日、東西本願寺と北國新聞社主催「親鸞聖人の教え—北陸への道」というシンポジウムが金沢で開かれ、参加してました。真宗の教えは蓮如上人によって爆発的に北陸地方に広まったという歴史は多くの方の知るところですが、なぜ北陸地方だったのかというその前段階の歴史について調査された内容を報告するものでした。

蓮如上人は第八代の本願寺門主ですが、第五代・綽如上人、六代・巧如上人、七代・存如上人が北陸の地でどのような人生を送られたか、またどのような活動をされたのか、蓮如上人につながる北陸との深い関わりを多方面にわたって Continue reading '「親鸞聖人の教え—北陸への道」シンポジウム'»

Greetings for the New Year

By , 2011年1月2日 4:45 pm

大晦日に降った雪は、除夜の鐘の響きともにゆきし年への化粧となって厳かな気持ちにさせてくれました。新年の幕開けとともにみなさんと唱和させていただいた正信偈の声に、このいのちを生きるよろこびをかみしめました。

本年もよろしくお願い申し上げます。

元日より多くの方が年頭のご挨拶に来寺され、囲炉裏端での会話には、いろいろな話題がでます。家族のこと、去年の出来事、これからのこと…。でも、なかなか仏法のことは出てこないものですね。

蓮如上人は、新年のご挨拶に参られた門弟の道徳という方に明応二(1493)年の元日、「道徳は今年でいくつになられたか。道徳、念仏申されよ。それについても自力の念仏と他力の念仏とがあるが、自力の念仏というのは、念仏を多く申して仏の方へ振り向け、この称名の功徳によって仏がたすけてくださるかのように思って称えるものである。他力というのは、弥陀をたのむ一念の信心がおこるとき、そのとき直ちに御たすけに与かるのであるから、そののち念仏申すのは、はや御たすけいただいたことのありがたさよと思うこころを、口に申してよろこぶばかりで、南無阿弥陀仏に何ら自力を加えないこころである。そういうわけで、他力というのはまさしく他の力という意味である。弥陀をたのむこの一念が、臨終まで末とおって往生させていただくのである」と、 Continue reading 'Greetings for the New Year'»