Posts tagged: 二十八日講

二十八日講報恩講

By , 2014年12月1日 7:27 am

s-IMG_1130今年最後の二十八日講が勤まりました。ご講師は、高岡市内島の教願寺若院の岡西好持師。「仏教の現世利益」と題してご法話をいただきました。現世利益と聞くと私たちはすぐに無病息災、家内安全、立身出世などを思い浮かべますが、お釈迦様の人生にはそれらが成就しなかった例をお話しになって、仏法を聞くということが、この世の幸せと言われることが思い通りになっていくことなのではなく、どのようなことが起きても、耐え忍び、励まされていくはたらきをいただくことなのだ、ということを熱く教えてくださいました。阿弥陀如来は、四十八願の最初に、浄土には地獄、餓鬼、畜生などの世界を無くしたいと誓われました。これらは、戦争や搾取、差別などの苦しみを生む種を無くしたいと誓われたものであり、現実社会の問題を見つめる大切な視点を与えてくださっているのです。

5月の二十八日講

By , 2014年6月8日 10:01 pm

s-DSC_0201今年度初めての二十八日講が始まりました。宗祖親鸞聖人の降誕をお祝いする5月のお講は、清々しい天気の中、お勤まりになりました。法話は、若院が「変わりゆく国 変わらない願い」というテーマで、昨今の政府の強引で急激な「戦争のできる国づくり」への警鐘を、お釈迦様の教えと阿弥陀如来の本願に基づいてお話しさせていただきました。また、戦後、日本国憲法がいかに国際社会において多くのいのちを済い、日本国への絶大なる信頼関係を築いてきたか、日本人が知らなさすぎる。こんな宝物を自ら捨ててしまうようなことをしてはならないと思います。そして過去に本願寺教団が犯した戦争協力の事実を決して忘れてはなりませんし、殺す、殺させるという現実を作り出してはならないという仏教の基本的な教えからブレない歩みをしなければなりません。お一人お一人が自覚的に世間に地獄、餓鬼、畜生の世界を生み出さない働きかけが大切ではないでしょうか。 Continue reading '5月の二十八日講'»

8月の二十八日講

By , 2013年8月29日 4:07 pm
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本堂うらの蓮のつぼみ

猛暑の日々も少し落ち着き、気づけば9月を迎えようとしております。8月の二十八日講がお勤まりになり、浄土和讃の「一々のはなのなかよりは 三十六百千億の 光明てらしてほがらかに いたらぬところはさらになし」と「一々のはなのなかよりは 三十六百千億の 仏身もひかりもひとしくて 相好金山のごとくなり」の二首を味わいました。

絵の具の三原色は青、赤、黄で、色を重ねていけばいくほど黒に近づきます。一方、光の三原色は、RGBであらわされるように、青、赤、緑です。これらの光は重ねれば重ねるほど明るくなり白に近づきます。お浄土には、種々の宝でできた蓮の花がいたるところに咲いており、それぞれの花に百千億ものはなびらがあるという。 Continue reading '8月の二十八日講'»

5月の二十八日講

By , 2013年5月28日 3:35 pm
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今月のお斎 ごちそうさまでした。

今年度初の二十八日講が開催されました。明治6年(1973)のご消息をもつこのお講は、尼講として現在まで多くの参拝者に支えられて続いてきました。五月は親鸞聖人の降誕会として勤まります。浄土から末法濁世に衆生救済のために生まれてこられたから「降誕」ということや、わたしたちひとりひとりの誕生はどこから生まれてきたかは分からないが、浄土に生まれて明らかとなり、浄土に生まれていくという目的を聞かせていただいています。浄土は、生まれておしまいという楽園・楽土ではなく、 Continue reading '5月の二十八日講'»

8月の二十八日講

By , 2012年8月29日 12:30 am

連日の暑さで疲れた体に染み渡る地元野菜の精進料理

二十八日講がお勤まりになりました。今日は「インターネット社会の仏教」と題し、スクリーンに投影されたパソコンの画面を見ながら「インターネット」とは何か、とか、仏教界はどのようにインターネット社会で活動しているか、について紹介させていただきました。参拝のみなさんの約半数がインターネットとは何か、聞いたことはあるが、見たこともないというみなさんでしたので、まず、概念を紹介。そして善興寺のホームページの内容から、本願寺やアメリカの真宗関係のサイトなどを実際に見てもらいました。

お話ししていて感じたのは、インターネットのことが分かっている人の世界観と、全く知らない方の世界観は全然違うのだということです。同じ時間と空間に生きているけれども、すでに知った私たちにとってそれを「知らない」方の世界観は理解できないのではないかと、説明しながら思いました。それは仏教の世界観を知ってお念仏を称えているひとと、 Continue reading '8月の二十八日講'»