8月の二十八日講

By , 2012年8月29日 12:30 am

連日の暑さで疲れた体に染み渡る地元野菜の精進料理

二十八日講がお勤まりになりました。今日は「インターネット社会の仏教」と題し、スクリーンに投影されたパソコンの画面を見ながら「インターネット」とは何か、とか、仏教界はどのようにインターネット社会で活動しているか、について紹介させていただきました。参拝のみなさんの約半数がインターネットとは何か、聞いたことはあるが、見たこともないというみなさんでしたので、まず、概念を紹介。そして善興寺のホームページの内容から、本願寺やアメリカの真宗関係のサイトなどを実際に見てもらいました。

お話ししていて感じたのは、インターネットのことが分かっている人の世界観と、全く知らない方の世界観は全然違うのだということです。同じ時間と空間に生きているけれども、すでに知った私たちにとってそれを「知らない」方の世界観は理解できないのではないかと、説明しながら思いました。それは仏教の世界観を知ってお念仏を称えているひとと、他宗教の方がそれぞれの世界観のなかで信仰を育んでいらっしゃることが分からないことと共通するのかもしれません。

よく、「同じ真理に向っているのだからどの教えも本質的には同じ」と言われる方がいますが、私は全く違うと思います。違うからこそそれぞれの教えの素晴らしさがあり、味わいかたも変わってくるのです。そしてお互いを理解しようとする営みが生まれるのです。それほど奥深く、複雑であることが宗教というものの本質だと思います。

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