富山仏教学会

By , 2012年5月14日 10:23 pm

お話をされる土井氏

前住職と富山仏教学会に出席してきました。この仏教学会は、昭和21年(1946)に設立された富山仏教文化会を前身とし、昭和26年(1951)に富山県内の真宗僧侶有志によって発足。仏教・真宗の研究の他、歴史や社会一般に関する研究など自由な発表の機会として続いてきた会で、今回で195回目の例会となりました。総会に引き続き、会長の土井了宗氏による発表「持専寺と富山常楽寺」がありました。

本願寺が石山合戦で和睦した後、秀吉によって門主となった准如上人をさしおいて、門主職を解任された教如上人(大谷派初代)に依頼し、ご本尊等の法物を下付された寺院を取り締まるため、前田利家は黒部の生地の専念寺、正宗と入善町青木村の新蔵を処刑しました。正宗の兄弟であった越中三坊主のひとつ、持専寺の住職は、晒し首となった両氏の首をもって逃亡し、このことが因となって越中における有力寺院だった持専寺は、常楽寺に吸収され、寺号が消えてしまったのでした。その歴史をお聞きすることができました。

東西分派の歴史のなかで大きな影響を受けた富山の有力寺院のお話。持専寺には40ヶ寺以上の末寺があったそうで、その歴史もだんだん分かりにくくなっています。持専寺の山号は梅澤山、現在の富山市梅沢町の由来となったそうです。

 

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